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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

明治時代に決められた事は 全て正しかったのですか


 神武天皇の時代から一度も途切れなく男性による継承は続いて、それが制度化されたのは、1889年明治22年の旧皇室典範からだそうです。
「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と定められていても、明治時代より前は女性天皇も存在していたようです。
明治時代に定められた事の中には、大きな過ちを犯していたと思われる事もあります。
 「廃仏毀釈 はいぶつきしゃく」はどうだったでしょうか。
明治維新の初期、政府の「神道を国教化する政策」をもとに、日本全土で仏教寺院や仏像、経典などが破壊されることがありました。
 江戸時代までは、神と仏は同じものとして祀られて来た「神仏習合」であり、その中で「祈る世界の和合」が保たれて来たのでした。
 ネット検索によれば神仏習合は、6世紀半ばに仏教が日本に伝来しましたが、奈良時代に本格的に始まり、日本の神々と大陸から伝来した仏を一体として信仰する考え方であり、仏教の力で、日本の神々を救済しようとする考え方です。
これは実に1000年以上に渡り、日本の信仰の主流となって来たのですが、では何故仏教の力で日本の神々を救済出来るのかというと、以前記述したところの、「十界」の考え方から理解することができます。
神が神のままでいるとき、神が存在するのは「天上界」であり、人間界のたった一段階上に位置します。
その中で「神」と呼ばれる存在は、人と同じ様に迷ったり怒ったりの感情の中で、苦しみながら存在しているといわれています。
そして人間界の者と決定的に違うのは、人の持ち得ない驚くような能力があり、大きな風も山も海も、自在に動かす力を持っていることです。
そのような「神」が、例えば他の「神」とのチカラ競べをしたら、この世は天変地異の繰り返しとなるでしょう。
もしかすると戦争や他国侵略には、神同士の争いが隠れているのではないかと、思う事があります。
 神の力はスカラ―量(力の大きさだけを測る量)、仏の力はベクトル量(力の大きさとその方向を測る量)、と聞いたことがあります。
それでは神の持つ力は、その力がより巨大であればそれは正しいことであり、人が泣こうが死のうが関係なく、戦いは尽きることがありませんので、それによって天変地異などが、繰り返されることになるかも知れません。
そして仏の力をベクトル量とすれば、その「チカラ」は人や生き物の幸福に、目的の方向が当てられます。
つまり仏の力は人や生き物を傷付けないための力なのです。
その仏の力はまた、神が他の神と戦う日々によって、実は心の中に哀しみや苦しみや焦りなどを生じている日々から、(神を経典などに依って、得度させることによって)解放する事になります。
 仏の住む仏界は、十界の頂上にあります。
神仏習合が有るとき、神の暴走を止めることが出来ます。
神仏が一体となりこの世を治め、天道を敷いて行くことは、私たち人間や生き物にとって幸せな世界となり得ます。
それなのに「神仏分離」からの「廃仏毀釈」と言う、歴史上最も恐ろしいことが、明治時代に発布されました。
その中で多くの国民の心も仏と敵対して、仏像に糞尿をかけたり仏閣や経典を破壊したりして、神の暴走を止め神を揺るがせにしない高い地位に押し上げる、仏の力を、日本はこの明治時代に一旦捨て去ってしまったのです。
 十界の頂にある仏界を踏みにじって、無事でいる国などありません。
天道がそれを決して許さないはずです。
その流れが、国民の幸せを顧みず国民から主権を奪って、軍や政治の世界が強い力で国を率いて大戦へと進み、広島や長崎に厄災をもたらす結果となったのではないかと、感じることがあります。
 それでも悲しみのどん底にあった日本が、世界から認められる発展を遂げた国となって続いてこられたのは、日本の国を想い、愛する人々を想いながら散っていった英霊の方々や、生き残った国民の心の中にあった日本人としての誠実さと、道理を守ろうとする清い心のためであったはずです。
それは仏を納得させるに、十分だったのではないでしょうか。
 国民主権である民主主義制の日本において、事の大切な部分を国民と分かち合わず、隠された世界でのみ談合する事は、国の中に危険な風が、吹き始めている証拠ではないでしょうか。
あの恐るべき大戦に突入した時代、国民主権ではなく、あらゆる策を講じて国民が真実に触れる事から遠ざけられ、一部の開戦推進派の意志が日本国を導いたのです。
そして日本国を、奈落に突き落とす結果となりました。
「天皇を決定することは、国民の意思や希望の範疇(はんちゅう)にない」ということは、今までの時代ではごく自然の流れだったかも知れませんが、今この時代にそれは如何なものかと思います。
 日本を守る龍神の長(おさ)としての天皇陛下が、国家や国民のことを祈って下さることは、国民としてとても幸せなことであります。
そしてまた祈る事の主権は、実は国民一人一人にもあります。
その一人一人の祈りの力で国家を押し上げ、それが天皇陛下をお守りする意志を、力に変えているのではないかと思う事があります。
それは何故かというと、天皇陛下が天に選ばれた、敬わずには居られない御方だからです。
国民が望む、その存在をないがしろにして決定されることの中に、国家そのものをこの世界のなかで萎縮させかねない、頑迷な慣わしがあるとしたら、それは国民主権の国家をあげて、考えなくてはならない「一大事」であると、私は思います。

 今日は少し長めの投稿でしたが、読んで頂けましたことに、心よりの感謝を申し上げます。
皆様の今週に、また心穏やかで幸せなことが沢山あります様に、お祈りしております。

 画像は頂いた生け花の中にあった、スズランです。
ピンク色のスズランで、可愛らしいので特別に撮ってみました。
 今日のフィ−リングは、藤井風(ふじい かぜ)氏の「旅路」、布施明氏の「マイ・ウェイ」かな
 「旅路」は私の弟からの推薦曲です。
弟はミュージシャンでもありますので、センス抜群です。
時々私も音楽について、教えてもらっています。
ご協力に感謝しております。